摘出困難な脳腫瘍に対する治療効果判定における新たな評価方法を確立
?概要
医学研究科 脳神経外科学の大畑建治教授等のグループは、脳深部に発生する良性脳腫瘍に対する治療効果判定において、世界標準となりうる評価方法を確立しました。対象となっているのは錐体斜台部髄膜腫といわれる脳腫瘍で、多くの神経や脳深部の重要な血管を巻き込みながら発育する特徴があり、脳腫瘍の中でも摘出が最も難しい腫瘍です。
錐体斜台部髄膜腫は頻度が少なく、多数の症例を経験している施設はほとんどないため、一般的な手術危険度や合併症の程度は分かっていません。今回、神経症状の重度に応じた総合的な脳神経機能の評価スケールを用いることで、頭蓋底部病変に対する治療の客観的評価を仔細に渡って標準化することに成功しました。この新たな評価方法は、さまざまな治療の有効性を検討する上で臨床現場や臨床研究で用いることができます。
その結果を研究論文として発表することにより、この評価法が国内外で普及し、多くの患者さんが救われることをめざします。
研究の背景
頭蓋底部病変とその特徴
頭蓋底部とは脳の底面にある“頭蓋骨の底”を指します。頭蓋底部には、内頸頸動脈、椎骨動脈、脳神経、脳下垂体、海綿静脈洞、眼球、内耳などの重要で複雑な組織が密集し、しかも脳腫瘍や脳動脈瘤が好発します。このため、発生する部位によっては、病変が大きくなるに従って手足の麻痺、言葉の障害、視力の低下、認知機能の低下等々が生じ、仕事ができなくなったり、寝たきりになったりします。これらは良性の病変であっても、手術では脳や神経、血管を傷つける危険があり、手術により合併症が発生するリスクがあります。したがって、全摘出で完治させることが分かっていても、合併症のリスクを回避するために部分的に腫瘍を残存させざるを得ないことがしばしばです。良性脳腫瘍の代表として、髄膜腫、神経鞘腫、下垂体腺腫、頭蓋咽頭腫などがありますが、これらの良性脳腫瘍の中でもっとも外科切除が困難な腫瘍の一つが脳の深部から発生する頭蓋底部髄膜腫です。下の写真は頭蓋骨の模型を用いて、頭蓋底髄膜腫の発生部位を示しています。黄色は嗅窩部髄膜腫、水色は鞍結節部髄膜腫、赤色は蝶形骨縁および前床突起部髄膜腫、緑色は錐体斜台部髄膜腫、青色は大孔部髄膜腫です。この写真からも頭蓋底髄膜腫は脳深部に存在することがわかります。
錐体斜台部髄膜腫の治療と当教室での背景
錐体斜台部髄膜腫は、嗅神経、視神経を除く全ての脳神経を巻き込んでいる可能性があること、脳底動脈、内頚動脈など重要な血管と近接しているなどの理由から、全ての脳外科手術の中で最も難しい腫瘍の一つです。
錐体斜台部髄膜腫に対する基本的な治療は、手術による摘出です。上記のように錐体斜台部髄膜腫は脳底面に発生するために、脳を持ち上げながら切除することが必要です。徹底切除のためには脳をできるだけ持ち上げて広く露出することになりますが、過度に持ち上げれば脳挫傷が生じます。このため、錐体斜台部髄膜腫に対しては様々な治療が行われており、頭蓋底到達法を用いた徹底切除が有効とする報告や、手術合併症の多さから後頭下開頭による部分切除に定位放射線照射を組み合わせた治療が有効とする報告など意見の一致がないのが現状です。まとまった報告は少なく、一般的な手術の危険度や合併症、長期治療成績について確立されるには至っていませんでした。
当教室では、脳底部の頭蓋骨を削除することによって脳の挙上を最小限にする方法の一つとして世界に先駆けて経錐体法(耳の奥にある錐体骨を削除する方法)を1977年に報告し、脳神経外科の世界に影響を及ぼしてきました。錐体斜台部髄膜腫に対しても経錐体到達法を早くから導入し、この腫瘍を安全に摘出するよう努力してきました。治療の方針は脳神経麻痺、片麻痺などの合併症を起こさずに、可能限りたくさん腫瘍を摘出することです。そして、1990年から2009年の間に60例の錐体斜台部髄膜腫を手術しましたが、その中には、術前に複視や歩行障害があり手術によってこれらの症状は改善しましたが、術後新たに顔面神経麻痺や聴力の低下が出現するといった例がありました。日常生活動作(ADL)の障害を大まかに評価する既存の方法では、これらの神経症状を仔細に渡って客観的に評価することが困難でした。また、錐体斜台部髄膜腫に対しては様々な治療が行われており、治療効果判定において世界標準となりうる客観的な臨床評価方法の必要性が痛感されました。
<手術経路>
上の写真は大きな錐体斜台部髄膜腫の術前、術後のMRI写真です。右錐体骨を切除して腫瘍に到達する経錐体到達法で腫瘍を安全に切除しました。
<代表的な日常生活動作(ADL)の評価方法>
?研究の内容
対象
脳外科手術の中で最も摘出の難しい腫瘍とされる錐体斜台部髄膜腫に対する経錐体到達法の有用性を検討しました。今回の対象症例は、1990年1月から2009年12月までに当院で合併経錐体到達法によって腫瘍を摘出した錐体斜台部髄膜腫60例です。腫瘍摘出度、合併症、神経機能、長期の腫瘍制御率を検討し、また患者さんの神経機能予後を定量評価するため、患者さんの日常生活不自由度を規定する指標としてpetroclival meningioma impairment scale(PCMIS)(神経症状の重度に応じた脳神経機能の評価スケール)を作成し、錐体斜台部髄膜腫に対する治療効果の判定を客観的評価に基づいて行いました。
手術方法
1977年に当教室から論文発表した経錐体法を改良した方法で行いました。すなわち、錐体骨の切除は外側のみとし、開頭時に露出されるS状静脈洞(耳の後ろを走行する太い脳静脈)は剥離子で直接骨より分離し、頭蓋底外科の術後の合併症である脳脊髄液漏を予防するために胸鎖乳突筋弁(耳の後ろにある筋肉)を剥離し、腫瘍摘出後に削除した錐体骨の上面を覆います。錐体骨の辺縁に沿って骨を削除し、三半器管(平衡機能の器管)の部分切除を行います。そして、天幕(大脳と小脳を分ける膜)を切開します。腫瘍の内減圧を行い、三叉神経(顔面の知覚の神経)と滑車神経(眼球を内側下方に動かす神経)を剥離します。脳深部に入ったところで上小脳動脈や脳底動脈、動眼神経(瞼を持ち上げ、眼球を動かす神経)から腫瘍を剥離します。脳幹や顔面神経(顔面の表情筋を動かす神経)、聴神経(聴覚や平衡感覚を伝える神経)から腫瘍を剥離し、最後に外転神経(眼球を外側に動かす神経)を同定します。このようにして脳神経および血管を温存して、腫瘍の摘出を終了します。
神経機能評価方法
患者さんの日常生活不自由度を規定する指標としてpetroclival meningioma impairment scale(PCMIS)を作成しました。この新たな脳神経機能の評価方法は、頭蓋底部病変に対する神経症状の重度に応じた総合的な脳神経機能の評価スケールであり、A?Hまでの8項目によって総合的な評価を行います。患者さんのADLに影響する大きさによって各項目の点数を設定し、各項目ともに点数が高いほど重症度も高くなり最大で38点となります。
結果
初期の10年24例(1990年?1999年)では、平均腫瘍切除率は96.1%、経過観察期間は平均149.3カ月、腫瘍長期制御率は91.7%でした。合併経錐体到達法による腫瘍の徹底切除とそれによる腫瘍長期制御は可能でしたが、手術操作により患者のPCMISは有意に悪化しました。一方で、後半の10年36例(2000年?2009年)では、平均腫瘍切除率は92.7%、経過観察期間は平均77.9カ月、腫瘍長期制御率は94.4%でした。腫瘍切除率は初期の10年と有意差がなく、腫瘍制御も良好でしたが、それに加え患者のPCMISが有意に改善しました。
まとめ
今回我々は、摘出が困難とされる錐体斜台部髄膜腫の長期手術成績の詳細を明らかにしました。その中で、後半10年(2000年?2009年)での平均腫瘍切除率92.7%および腫瘍長期制御率94.4%は高く評価されるべきであると考えます。本方法では、腫瘍を側方から到達することで広く腫瘍を露出できるため、多くの神経や動脈、脳幹などの重要な構造物を損傷することなく腫瘍を摘出することができました。その結果、腫瘍摘出度を高めることができ、それによって長期の腫瘍制御も良好な結果を得ることができています。また、合併症発生率も軽微となっています。この研究は、錐体斜台部髄膜腫に対する合併経錐体到達法が患者機能を長期に改善させかつ十分な腫瘍切除を可能にする有用な到達法であることを示しました。また、今回確立された新たな臨床評価方法は、頭蓋底部病変に対する治療の客観的評価を仔細に渡って標準化しており、患者さんの神経機能予後を明らかにした最初の報告となります。
今後の展開について
錐体斜台部髄膜腫の治療効果判定において、世界標準となりうる評価方法を提案しました。この評価方法を普及させることにより、日本国内?外の錐体斜台部髄膜腫の治療成績を向上させることが期待されます。
【発表雑誌】Journal of Neurosurgery
【論文名】Petroclival meningiomas resected via a combined transpetrosal approach: surgical outcomes in 60 cases and a new scoring system for clinical evaluation
合併経錐体到達法による錐体斜台部髄膜腫 : 60例の手術成績と新たな臨床評価方法
【著者】大畑建治、森迫拓貴、後藤剛夫
【論文掲載URL】http://thejns.org
米国東部時間 11月7日(金)午前10時 電子版で公開